溺れるナイフを観た

f:id:whe-log:20161123223531j:plain

ああ、いつの間にかわからなくなっていた。

あの頃、君が世界の全てで、私たちは永遠だと信じていた―。
15歳の夏。東京から遠く離れた浮雲町に越してきた、人気モデルの望月夏芽。
退屈でウンザリするようなこの町で、夏芽は体を貫くような“閃光”と出会ってしまう。それは、コウと呼ばれる少年・長谷川航一朗だった。
傲慢なほどに激しく自由なコウに、反発しながらも、どうしようもなく惹かれてゆく夏芽。コウもまた、夏芽の美しさに対等な力を感じ、やがてふたりは付き合いはじめる。「一緒にいれば無敵!」という予感に満たされるふたり。しかし浮雲の夏祭りの夜、全てを変える事件が起きるのだった―。
失われた全能感、途切れてしまった絆。
傷ついたふたりは、再び輝きを取り戻すことができるのか。未来への一歩を踏み出すために、いま、ふたりがくだす決断とは―。

初期衝動がぎゅっと詰まった恋。

若手女性監督の作品だそうで、夏芽のペディキュアの心理描写だったり、キスシーンだったりは、さすが女性!という感じでドキドキした。大友と夏芽の何気ない会話もアドリブなのかな?と思うくらい、本当に自然で微笑ましかった。特に好きなシーンは、大友が夏芽にふられてカラオケを熱唱する場面と、夏芽の写真集が出来上がって追いかけっこしている場面。コウは凶暴なほど魅力的で、画面から目が離せなかった。ラストシーン、真っ白な衣装に身を包んだ二人がウェディングカー(スクーターだけど)に乗りながら、”万能感”いっぱいの出会ったころの二人のようだった。明るくて幸せそうな場面な分、ちょっとやりきれないというか。ただ、初期衝動はこうあるべきなのかもしれない。衝動は同じ形でずっと有り続けることは出来ないもんな。例えるとロックバンドの“初期衝動”と揶揄できるアルバムを聴いている、そんな気分。そういえばドレスコーズのボーカルの人も出ていたね。エンディングテーマは毛皮のマリーズ時代の曲らしいけど、これはあえて今の曲じゃなく初期の曲を選んだのだろうか。

ここからは感想ではなく、この映画を観たあとのわたしの個人的な変化というか考えというか。

ヒリヒリする感情、ひたむきな眼、煌めく純粋さ、そういったもので物語はかたどられていたし、確かに感じたはずだった。それなのに、とてつもなく遠いところから眺めている気分だった。なんでだろう。物語の内容はわかる、呪いをとくためだったのだとわかる、神さんのような存在もわかる、わかるはずなのに、手元にない感覚。それがたまらなくしんどかった。この映画は一ミリも悪くない。ただちょっと流れが唐突で挿入歌も違和感を持ったけど、場面の美しさや役者はわたし好みだった。でも観終わったとき、一番に出た感想が「分からない」だったし、ちょっと時間たって一人で反芻しているとどんどん辛くなってきてしまって、この文を書いている。

泣きたくなる。

分かりやすいハッピーエンドじゃなかったことでも、少女漫画でありがちな”いいやつ”が振られてしまったことでもない。わたしがわたしに対して泣きたくなっている。はっきり感じたことが、数年前のわたしだったら「分からない」なんてことにはならないだろうということだ。感情を具体化していったら、余計なことまで思い出してしまった。「呼吸ができない」ということ。生きづらいと思っていたこと。忘れていた。というより考えないようにして、いつの間にか克服したのだと思いこんでいた。たまに忍び寄ってきそうものならなら急いで蓋をして、なんでもないように笑えていたから。でも本当は生きづらくてたまらなかったんだった。ここはまだ地獄のままだった。でも、もう”いい年”でこんなこと誰にも言えないよ。本当は文字にすることも憚れるのに。

多分、映画の他にもうひとつトリガーがあった。わたしのことなんて綺麗さっぱり忘れてしまえるんだろう。でも悔しがる資格もないのだ。むやみに寂しがる、悪い癖だ。ただ、爪痕を残すことを試みてみるのも良いかもしれない。

予告編を観たときは、こんな気持ちになるなんて想像していなかった。


『溺れるナイフ』本予告